何でもあり過ぎる時代に、何を与えられるだろう。
2020年には小学校の英語が教科化される。
それに不安を覚えるのは私だけだろうか。
私が中学校1年生の時、
大好きな友だちと一緒の英語塾に通ったことがきっかけで、
英語の成績もよく、高校は英語科に進学した。
高校3年生の夏、
アメリカの公立高校に交換留学することを決めた。
そして、大学2年生でマルタ島のマルタ大学へ。
大学3年生でトルコのボアジチ大学へ。
全て交換留学であった。
私がそもそも英語を話したいと思うようになったのは、
英語の成績が他の人よりも良かったことで自信がついたこと。
そして、洋画の影響である。
この人たちの言葉が話せたら、
字幕なしに分かったら、どれだけ深く感動するんだろう。
世界の人々と話せたら、
どんなに楽しいんだろう。
ワクワクすることしか、なかった。
でも、もし中学生だった頃の自分の成績が良くなかったら、
いわゆる『英語嫌い』になっていたと思う。
人からは、「英語が話せていいね。私は英語が嫌いだから。」
と言われるたびに、
ココロが苦しくなる。
『英語嫌い』の根本は、英語が教科だったからであり、【英語はただのコミュニケーションのツールでしかない】ということに、人々は気づいていない。
私たちの世代の『英語嫌い』は
そもそも【成績が悪かった】から始まったのではないか。
だとすれば、今は教科でない英語を小学校で教科化することで
さらなる『英語嫌い』を生み出してしまうのではないか。
そもそも『英語嫌い』の多い小学校の教諭が教え、
小学校で、「英語ができない」と植え付けられてしまうことは、
危険なのではないか。
<だからおうちでできること>
私は毎日寝る前に絵本を読む。
1人一冊、時間があれば二冊。
2人が二冊づつ持ってくると、四冊になり、一時間ほどかかることもある。
そのうち一冊は英語の絵本を読んでいる。
別に彼らにバイリンガルになってほしいわけでも何でもない。
字を読めなくても、理解していなくてもいい。
「あいうえお」があるように、「ABCDE」が日常にあることを、
何も特別でないことを、
知ってほしい。
小学校に入った時に、彼らが絶望しなくてよいように、
サラッと生活の一部に取り入れる。
週に一時間の英会話教室よりも、
つたない英語でも、毎日の15分の積み重ねが、
子どもたちに可能性を与える。
「いやだってあなたは英語が話せるからいいけど、私は話せないからムリ」というのは、ただの言い訳。
「英語ができない」ワケがない。
APPLE
BEAR
CAT
これが読めない人はそんなにいない。
発音が分からなければ、事前に調べておけばいい。
楽しそうに読めばいい。
ママが楽しそうに、嬉しそうに読んでいれば、
必ず子どもたちは、英語って楽しそう!と思うようになる。
ママがつまらなさそうに、嫌そうに読んでいれば、
必ず子どもたちはそれを感じ取る。
英会話教室に通わせなければ、落ちこぼれる!!なんて焦らないで、
英語を生活の一部に取り入れてみよう。
アルファベットを見たら、「あれ?これはひらがなとは違うね。英語だね。」
外国の人が歩いていたら、「英語を話す人だね。英語が話せたら、彼とお話ができるね。」
そして子どもの前でじゃんじゃん洋画を見よう。
子どもがアニメのDVDなんかを見たら、「次はママの番だからね。」と洋画を英語で観る。
生活に英語がゴロゴロ転がっていたら、
きっと子どもが『英語嫌い』になることは無いと信じている。
あなたにできることを少しでも子どもに与えよう。
彼らの未来は、無限に広がっているのだから。