長男を授かって、システム開発のプロジェクトを外されて、使えないと思われているおじ様がたと一緒に事務所待機を命じられ、ひたすら開発言語の自習をし、上司から嫌がらせのマタハラを受けて、辛かった。
勤務先から自宅までバスと電車を乗り継いで2時間ほどかけて通う。上司からのマタハラが辛くて、それを同僚に相談して、嗚咽で途中のバス停で降りたこともあった。
周りの友人は、フライトアテンダントになって世界中を飛び回り、綺羅びやかな生活をSNSにアップするのに、私は来る日も来る日も満員電車に押されながら、ツワリの吐き気と戦って毎日を過ごし、嫌がらせにも耐え、泣きじゃくった。
育休から復帰しようとした時に、「戻る席はもうない」と言われ、退職勧告を受け、夫にまで影響があったらいけないからと、泣き寝入りするしかなかった当時の自分。
「私はこの子を殺せばよかったのでしょうか。」
そう当時の人事部長に言ってしまいました。今思い出しても辛かった記憶があたかも昨日の事かのようによみがえってきます。もう6年も経つのにね。
きっと彼も辛かったでしょう。今はすごく申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、当時の私には申し訳ない気持ちよりも、辛い気持ちが勝ってた。
新入社員で入社してすぐに同期であった夫との間に子どもができ、結婚。
そりゃそうでしょう。使えない新人がもっと使えなくなるんです。1年も働かずに産休入りするんですから。
それでも私には、会社にしがみつくしかなくて。残酷な言葉で相手を傷つけてしまいました。
東証一部上場企業で正社員。
そこから、退職勧告を受けたものの、泣き寝入りで自己都合退社。
ハローワークに相談に行けば良かったのに、それすらもせずに、保育園追い出されたら困る!!と焦って派遣社員で雑務をして、子どもの看病で半分以上出勤できない。
出勤しても、呼び出し。
朝起きて37.5度以上熱があったら、病児保育(まあまあ高額)に預けて出勤。
結局病児保育に預けているお金と苦労を考えたら時給は無いみたいなものです。
本当に馬鹿だったな自分。
なんとか会社都合にしてもらって、失業手当てをもらうなり、職業訓練を受講するなり、できただろうに。
無知って恐ろしいです。
あれから6年。
東日本大震災や京都への引っ越し、夫の1度目の独立や失敗。子ども2人抱えて無職の夫と私。精神的に病んで無職で実家を飛び出し、再スタート。
非課税世帯だった私たち。翌年には保育料わずか数千円でした。そして3年後には保育料MAXを支払わなければならない。
人生なんてわからんもんです。
だからもし今、日本のどこかでマタハラに苦しむお母さんがいたら、あのときの自分にだって、言いたい。
「マタハラが辛いんだったら、働き方を変えたらいいんじゃない?」って。
正社員として雇われることだけが、偉いんじゃない。
会社だっていつ倒産したっておかしくありません。
会社や役職に縛られるんじゃなくて、今備えることがすごく大事。
もしも産休中に不安に思っているお母さんがいたら、ぜひ応援したいな。
というわけで、新規プロジェクト発起することになりました。
ママによるママのためのサイト運営コンサル。
まずは2人から初めてこれから、どんどん広めていこうと思っています。
このプロジェクトが今後どうなるか、楽しみで仕方ありません。
みんなが安心して子育てできる、そんな社会を目指して。
会社に属する人もそうでない人も。
専業主婦でも産休中のママでも。
とにかく私みたいに辛いマタニティライフを送らなくて良いように。
笑顔で子どもたちと過ごせる未来を作るために。
私と夫と従業員と家族と友人と。
みんなを巻き込んで笑顔を増やすぞー!
夫の奮闘ブログはこちらからどうぞ!転職・副業で社畜サラリーマンから自力で脱出した方法
このコンサルが上手く行けば、2人から今度はその2人を巻き込んで10人のセミナー、そしてその12人を巻き込んで50人のセミナー、その62人を巻き込んで100人のセミナー。
いずれは凄いビッグなママ集団になって日本社会に影響を与えるぞー!!
願えば叶うのに、なんで願わないの?
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パンを頬張りながらオシリが拭ける私たちママ集団に、怖いものはなーーーーーーーーーーーーーーーーーい!
笑顔でいてね、お母さん。
この笑顔のために。
どこかであなたに会えるのを楽しみにしています。
で、いつも何を思っていたんだっけ私。
今日も明日も明後日も可愛い我が子のために、
例えどんなに辛くても、ママ、あなたを産んだこと、後悔しないよ。